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詳しい解説

桜花賞
File:The 70th OKa Sho 20100411R1.jpg
第70回桜花賞
開催地阪神競馬場
施行日2010年4月11日
格付けGI
1着賞金8900万円
距離芝・外1600m
出走条件サラブレッド系3歳牝馬(国際)
負担重量55kg
第1回施行日1939年4月9日
特記上位4着までに優駿牝馬(オークス)への優先出走権
 Template‐ノート:競馬の競走 

桜花賞(おうかしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場1600mで施行する中央競馬重賞GI競走である。正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞。

目次

概要

1939年イギリスクラシック競走である1000ギニーを範として4歳(現3歳)牝馬限定の定量の重賞競走中山4歳牝馬特別として創設、第1回は現在とは違い中山競馬場の芝1800mで施行され東京優駿競走阪神優駿牝馬横浜農林省賞典4歳呼馬京都農林省賞典4歳呼馬と並び国営競馬の五大競走(五大クラシック競走)の1競走とされた。

1944年太平洋戦争(戦時中)の影響により東京競馬場の芝1800mで能力検定競走として施行された。

1945年1946年は太平洋戦争及び終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催は中止された。

1947年からは施行場を京都競馬場の芝1600mに移し、名称を現在の「桜花賞」に変更した。

1950年からは現在の阪神競馬場に施行場を移し、現在に至るまで名称が桜花賞という事やが咲く季節に行われる事から(3歳(旧4歳)牝馬の)「桜の女王決定戦」と競馬ファンや関係者が呼ばれるように定着する事になる。

1967年厩務員労働組合によるストライキのため3週間遅れで京都競馬場の芝1600mで施行、1970年は阪神競馬場で施行されたが日本万国博覧会の混雑緩和の一環として第9競走で施行、通常より1時間早い14時40分(実際は14時43分)発走、1972年は前年暮れに関東を襲った流行性の馬インフルエンザの影響でクラシック競走の日程が繰り下げられ5月21日に施行、1984年からはグレード制施行に伴い最も格の高いGIに格付けされた。

1991年は阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝1600mで施行、1995年からは指定競走に指定、トライアル競走で優先出走権を得た地方所属の競走馬が出走可能になったが阪神・淡路大震災の影響による阪神競馬場の復旧工事により京都競馬場の芝1600mで施行、2004年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により外国産馬が2頭が出走可能になり2006年からは5頭に拡大された。

2006年12月に阪神競馬場の外回りコースが新設されたため、2007年からは向正面を出発地点とする外回りコースを舞台に繰り広げられる。騎手及び競走馬が安全に競走を行えるよう配慮される。従来の発走地点で競馬ファンにも有名となった第1コーナーのポケットは廃止され、ポケットの後方にあった桜は移設されている。

中央競馬が誇る八大競走の1競走で優駿牝馬(オークス)・秋華賞とで中央競馬の牝馬三冠競走を構成し、さらにはエリザベス女王杯を含め牝馬四冠競走と呼ぶこともある。また皐月賞・優駿牝馬(オークス)・東京優駿(日本ダービー)のいずれかの2つのクラシック競走とNHKマイルカップを含めて変則三冠競走と呼ぶ者もいる。

かつての施行コースが第1コーナーポケットからスタートしていた時代には第2コーナーに入るまで熾烈な位置取り争いが繰り広げられていたため、騎手にとっては難コースと言う者も少なくなかった。

また勝馬投票券の単勝1番人気に支持された競走馬があまり勝てないため、「魔の桜花賞ペース」(後述)に掛かったと競馬関係者が解説や敗戦の弁を吐露する場合がある。

出走資格はサラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牝馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。ただし桜花賞優先出走権取得馬(最大8頭)が優先で出走でき残りの枠(最低10枠)は総収得金額上位馬が出走できるが、残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる。

負担重量は定量で55キロである。

総額賞金は1億6890万円で1着賞金8900万円、2着賞金3600万円、3着賞金2200万円、4着賞金1300万円、5着賞金890万円と定められている。

上位4着までに入賞した競走馬には優駿牝馬(オークス)の優先出走権が与えられる。また上位2着までに入賞した地方所属馬はNHKマイルカップの出走権(優先出走権ではないが2着入賞で収得賞金が加算されるため、出走資格を得るには十分であり実質的には優先出走権と言える)が与えられる。

現在の優勝レイは桃色地に銀色文字で、地の部分にはレース名にちなんだの花びら模様があしらわれている。

原則として生演奏のファンファーレではあるが、通常の関西G1のファンファーレの最終小節がアレンジされている。ちなみに演奏は関西学院大学総部応援団吹奏楽部が行なっている。

2010年度における、当競走当日の阪神競馬場の開門時刻は午前8時30分であった。

主な前走

トライアル競走

桜花賞のトライアル競走として優先出走権の得られる競走は以下の通り。

競走名格付施行競馬場施行距離競走条件優勝馬輩出実績
チューリップ賞GIII阪神競馬場芝1600m国際競走優勝馬参照
アネモネステークスOP中山競馬場芝1600m指定競走優勝馬参照
フィリーズレビューGII阪神競馬場芝1400m国際競走優勝馬参照

フィリーズレビュー、チューリップ賞は上位3着までの競走馬(内国産馬、外国産馬、外国調教馬問わず)、アネモネステークスは2着までの競走馬(外国産馬及び外国調教馬はアネモネステークスに出走ができない)に優先出走権が与えられる。

地方馬は上記の3競走で優先出走権を得た場合と阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークス(牝馬に限る)の1着馬に限り、桜花賞に出走できる。

トライアル以外から

太字は当該競走勝ち馬。

競走名格付施行競馬場施行距離競走条件優勝馬輩出実績
フラワーカップGIII中山競馬場芝1800m国際競走ダンスインザムードキストゥヘヴン

このほかには2月に開催されるエルフィンステークス(OP、京都競馬場・芝1600m)、クイーンカップ(GIII、東京競馬場・芝1600m)、3月に開催されるファルコンステークス(GIII、中京競馬場・芝1200m)から直行する馬もいる。まれに2歳戦からトライアルを使わずに直行するローテーションを使う陣営もいる。

コース

2006年までは阪神競馬場の名物地点と言われた第1コーナー・ポケット地点からの発走だったが、2007年からは向正面にスタート地点が設定・変更された。

これは阪神競馬場の芝コースが中山競馬場・京都競馬場・新潟競馬場に次ぐ史上4場目として芝コースが内と外に分けられたためである。第3~第4コーナーは新設された外回りコースを使用している。

歴史

  • 1939年 - 中山競馬場のサラブレッド系4歳(現3歳)牝馬限定の定量の芝1800mの重賞競走「中山4歳牝馬特別」として創設。
  • 1944年 - 太平洋戦争の影響により能力検定競走として、東京競馬場の芝1800mで施行。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
  • 1947年
    • 名称を「桜花賞」に変更。
    • 施行場を京都競馬場の芝外回り1600mに変更。
  • 1950年 - 施行場を阪神競馬場の芝1600mに変更。
  • 1954年 - 尾形藤吉調教師として史上初の連覇。
  • 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1961年 - 当競走で史上最多の28頭が出走。
  • 1967年 - ストライキの影響により京都競馬場の芝外回り1600mで順延開催。皐月賞NHK杯と同日開催となる。オークスは翌々週土曜の開催となった。
  • 1970年 - 日本万国博覧会の混雑緩和対策として第9競走で施行。
  • 1972年 - 流行性の馬インフルエンザの影響で順延開催。
  • 1978年 - 福永洋一騎手として史上初の連覇。
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
  • 1994年
  • 1995年
    • 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。地方笠松所属のライデンリーダーが地方所属馬として出走第1号となる。
    • 阪神競馬場の阪神・淡路大震災による復旧工事により京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
  • 1996年 - 田原成貴が騎手として3人目の連覇。
  • 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牝馬」から「3歳牝馬」に変更。
  • 2002年 - 元地方ホッカイドウ所属のアローキャリーがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝。
  • 2004年 - 外国産馬の出走枠が制限付きで2頭まで出走可能となる。
  • 2005年 - 外国産馬の出走枠が4頭に拡大。
  • 2006年 - 外国産馬の出走枠が5頭に拡大。
  • 2007年
  • 2008年
    • 外国産馬の出走枠が7頭に拡大。
    • 三連単の馬券が牝馬限定の重賞競走において、当時の最高額(全体でも第9位)の700万馬券(70029.2倍。牝馬限定を含めた全ての重賞競走としては2008年の秋華賞の1098万馬券(109820.2倍)が最高額)を記録。また馬連の馬券がGI・JpnIの重賞競走として最高額の19万馬券(1966.3倍。全ての重賞競走としては1998年日経賞の21万馬券(2133.7倍)が最高額)、馬単の馬券が全ての重賞競走において最高額の33万馬券(3344.4倍)を記録。
  • 2009年
    • 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(桜花賞当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。
    • 安藤勝己が49歳と16日で優勝し、クラシックレースの最年長優勝記録を69年ぶりに更新。
  • 2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIに戻す。

歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1939年4月9日ソールレデイ牝32:02 4/5石毛彦次郎田村仁三郎豊島美王麿
第2回1940年4月7日タイレイ牝31:56 4/5保田隆芳尾形景造和田孝一郎
第3回1941年4月20日ブランドソール牝31:54 2/5阿部正太郎田中和一郎加藤雄策
第4回1942年5月3日バンナーゴール牝31:55 4/5宮沢今朝太郎秋山辰治白岩浅次郎
第5回1943年5月9日ミスセフト牝31:55 1/5佐藤勇伊藤勝吉小西松太郎
第6回1944年6月4日ヤマイワイ牝31:55 0/5前田長吉尾形景造山口勝蔵
第7回1947年5月4日ブラウニー (競走馬)牝31:42 2/5武田文吾武輔彦仙石襄
第8回1948年5月9日ハマカゼ牝31:41 1/5松本実 (騎手)増本勇相部藤次郎
第9回1949年5月1日ヤシマドオター牝31:40 3/5八木沢勝美尾形藤吉小林庄平
第10回1950年5月3日トサミツル牝31:40 2/5境勝太郎星川泉士斉藤健二郎
第11回1951年4月22日ツキカワ牝31:39 1/5清田十一伊藤勝吉仁木清七
第12回1952年4月13日スウヰイスー牝31:38 3/5保田隆芳松山吉三郎高峰三枝子
第13回1953年4月19日カンセイ牝31:39 4/5森安弘明尾形藤吉川端佳夫
第14回1954年4月30日ヤマイチ (競走馬)牝31:40 2/5八木沢勝美尾形藤吉永田雅一
第15回1955年4月10日ヤシマベル牝31:38 3/5清田十一伊藤勝吉小林庄平
第16回1956年3月25日ミスリラ牝31:40 4/5柴田不二男諏訪佐市浅野国次郎
第17回1957年3月31日ミスオンワード牝31:38 4/5栗田勝武田文吾樫山純三
第18回1958年3月23日ホウシユウクイン牝31:38 3/5上田三千夫上田武司 (調教師)上田清次郎
第19回1959年3月29日キヨタケ牝31:39 3/5蛯名武五郎藤本冨良六郎田雅喜
第20回1960年3月27日トキノキロク牝31:40.5杉村一馬松田由太郎桶谷辰造
第21回1961年4月2日スギヒメ牝31:38.3諏訪眞諏訪佐市小杉咲枝
第22回1962年4月1日ケンホウ牝31:38.9野平好男藤本冨良長山善建
第23回1963年3月31日ミスマサコ牝31:40.1瀬戸口勉上田武司上田清次郎
第24回1964年4月5日カネケヤキ牝31:41.1野平祐二杉浦照金指吉昭
第25回1965年4月4日ハツユキ牝31:38.5加賀武見中村広玉島章子
第26回1966年4月10日ワカクモ牝31:39.5杉村一馬杉村政春吉田一太郎
第27回1967年4月30日シーエース牝31:38.8高橋成忠高橋直藤田宗平
第28回1968年4月14日コウユウ牝31:37.6清水出美星川泉士高木茂
第29回1969年4月13日ヒデコトブキ牝31:36.6久保敏文伊藤修司伊藤英夫
第30回1970年4月5日タマミ牝31:37.9高橋成忠坂本栄三郎坂本栄蔵
第31回1971年4月18日ナスノカオリ牝31:39.9嶋田功稲葉幸夫那須野牧場
第32回1972年5月21日アチーブスター牝31:37.6武邦彦田之上勲山本信行 (馬主)
第33回1973年4月8日ニットウチドリ牝31:35.4横山富雄八木沢勝美鎌田三郎
第34回1974年4月7日タカエノカオリ牝31:37.0武邦彦佐々木猛飛渡三代治
第35回1975年4月6日テスコガビー牝31:34.9菅原泰夫仲住芳雄長島忠雄
第36回1976年4月11日テイタニヤ牝31:36.7嶋田功稲葉幸夫原八衛
第37回1977年4月10日インターグロリア牝31:37.5福永洋一柳田次男松岡正雄
第38回1978年4月9日オヤマテスコ牝31:36.9福永洋一山本正司加藤泰章
第39回1979年4月8日ホースメンテスコ牝31:41.0佐々木晶三中村武志 (調教師)古橋貞臣、仲次衛
第40回1980年4月6日ハギノトップレディ牝31:36.2伊藤清章伊藤修司日隈広吉
第41回1981年4月5日ブロケード牝31:41.3柴田政人高松邦男伊達秀和
第42回1982年4月11日リーゼングロス牝31:36.3清水英次新関力三島武
第43回1983年4月10日シャダイソフィア牝31:40.5猿橋重利渡辺栄吉田善哉
第44回1984年4月8日ダイアナソロン牝31:36.1田原成貴中村好夫大島秀元
第45回1985年4月7日エルプス牝31:36.9木藤隆行久恒久夫小畑安雄
第46回1986年4月6日メジロラモーヌ牝31:35.8河内洋奥平真治(有)メジロ牧場
第47回1987年4月12日マックスビューティ牝31:35.1田原成貴伊藤雄二田所祐
第48回1988年4月10日アラホウトク牝31:34.8河内洋庄野穂積(有)アラキファーム
第49回1989年4月9日シャダイカグラ牝31:37.5武豊伊藤雄二米田茂
第50回1990年4月8日アグネスフローラ牝31:37.1河内洋長浜博之渡辺孝男
第51回1991年4月7日シスタートウショウ牝31:33.8角田晃一鶴留明雄トウショウ産業(株)
第52回1992年4月12日ニシノフラワー牝31:37.5河内洋松田正弘西山正行
第53回1993年4月11日ベガ牝31:37.2武豊松田博資吉田和子
第54回1994年4月10日オグリローマン牝31:36.4武豊瀬戸口勉小栗孝一
第55回1995年4月9日ワンダーパヒューム牝31:34.4田原成貴領家政蔵山本信行
第56回1996年4月7日ファイトガリバー牝31:34.4田原成貴中尾謙太郎品川昇
第57回1997年4月6日キョウエイマーチ牝31:36.9松永幹夫野村彰彦松岡留枝
第58回1998年4月12日ファレノプシス牝31:34.0武豊浜田光正(有)ノースヒルズマネジメント
第59回1999年4月11日プリモディーネ牝31:35.5福永祐一西橋豊治伊達秀和
第60回2000年4月9日チアズグレイス牝31:34.9松永幹夫山内研二北村キヨ子
第61回2001年4月8日テイエムオーシャン牝31:34.4本田優西浦勝一竹園正繼
第62回2002年4月7日アローキャリー牝31:34.3池添謙一山内研二矢野秀春
第63回2003年4月13日スティルインラブ牝31:33.9幸英明松元省一(有)ノースヒルズマネジメント
第64回2004年4月11日ダンスインザムード牝31:33.6武豊藤沢和雄(有)社台レースホース
第65回2005年4月10日ラインクラフト牝31:33.5福永祐一瀬戸口勉大澤繁昌
第66回2006年4月9日キストゥヘヴン牝31:34.6安藤勝己戸田博文吉田和子
第67回2007年4月8日ダイワスカーレット牝31:33.7安藤勝己松田国英大城敬三
第68回2008年4月13日レジネッタ牝31:34.4小牧太浅見秀一(有)社台レースホース
第69回2009年4月12日ブエナビスタ牝31:34.0安藤勝己松田博資(有)サンデーレーシング
第70回2010年4月11日日本の旗アパパネ牝31:33.3蛯名正義国枝栄金子真人ホールディングス(株)

桜花賞の記録

  • レースレコード - 1:33.3(第70回優勝馬アパパネ)
  • 2着との最大着差 - 大差(第35回優勝馬テスコガビー)
  • 最高勝馬投票券売上げ - 355億4394万1300円(第58回競走)
  • 当日の最高観客入場総数 - 98,756人(第55回競走)
  • 最多勝騎手 - 武豊 5勝(第49、53、54、58、64回)
  • 最多勝調教師 - 尾形藤吉 5勝(第2、6、9、13、14回)

本競走からの優駿牝馬(オークス)の制覇

日本の牝馬二冠馬を参照。

桜花賞に関する記録

  • 1986年メジロラモーヌが制して以降、2004年ダンスインザムードが制するまで関東馬が17連敗した。関西で行われるレースであるため地の利もあるが、中央競馬の現在における西高東低を象徴する戦績となっている。2006年キストゥヘヴン、2010年にはアパパネが制し関東馬もやや盛り返しつつあるが依然として優勝候補に挙がるのは関西馬が多い。
  • 1985年に関東所属の木藤隆行が制して以降、2010年蛯名正義が制するまで長きにわたり関東所属の騎手が勝てなかった。この間に関東馬の優勝が3回あるが、競走馬は関東馬でも騎乗した騎手が関西所属だった。
  • 外枠は旧阪神コースのマイル戦では圧倒的不利と言われていたが改修前の直近10年(1997-2006年)の結果を見てみると7、8枠から11頭が連対しており、実際には外枠が不利であるということはなかった。ただし、出走可能頭数が24頭だった1985年以前は8枠の連対は皆無であった。

魔の桜花賞ペース

魔の桜花賞ペースとは一般にこの時期の若い牝馬が精神的に幼いということもあって折り合いがつきにくく前半のペースが異常に速くなり、そういった影響で人気馬が着外に沈むことも珍しくなかったことから呼ばれている。しかし近年の傾向を見てみると前半をスローペースで進み直線勝負になるいわゆる「上がりの競馬」が多く、実際のレースとはそぐわない表現になりつつある。

また前述したように2006年までは1600mのスタート地点が1コーナーポケットにあり約150mで約50度のコーナーとなっていたため、コーナーでの距離損をしたくない各馬が殺到し有利・不利が生じやすかったこともこの「魔の桜花賞ペース」の一因と考えられていたとする説もある。この1600mコースは馬場拡大工事により2006年12月開催から向正面に設けられたため、このようなケースが改善されるのではないかといわれている。

地方競馬の「桜花賞」

地方競馬でも桜花賞を称する競走がある。ただし中央競馬の桜花賞と同等の機能を持った競走とは限らない。

関連項目

ウィキメディア・コモンズ

桜花賞

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