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詳しい解説

舞の海秀平
四股名舞の海 秀平
本名長尾 秀平
愛称技のデパート
生年月日1968年2月17日(42歳)
出身青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
身長170cm
体重100kg
所属部屋出羽海部屋
得意技左差し、下手投げ内無双、切り返し
成績
現在の番付引退
最高位小結
生涯戦歴385勝418敗27休(58場所)
幕内戦歴241勝287敗12休(36場所)
優勝なし
技能賞5回
データ
初土俵1990年5月場所(幕下付出
入幕1991年9月場所
引退1999年11月場所
引退後NHK大相撲解説者
他の活動スポーツキャスター
備考
2009年10月5日現在
 Template‐ノート:Infobox 力士 

舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい、本名:長尾秀平〔ながお しゅうへい〕、1968年2月17日 - )は、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町舞戸町出身の元大相撲力士、最高位は小結。引退後は日本相撲協会を離れているが、引き続き「舞の海秀平」を芸名として、NHK大相撲解説者、スポーツキャスタータレント俳優などで活動している。現役当時は出羽海部屋所属、現在は株式会社スポーツカンパニーとマネジメント契約。

関取時代の体格は、身長170cm、体重100kg。得意技は、左差し、下手投げ内無双、切り返し。血液型B型、左利き。力士の大型化著しい平成期において、昭和中期の力士と比較してもなお小柄なその体格で活躍し、小兵力士の代表格であった。関取時代は、平成牛若丸、技のデパート旭鷲山入幕後は、技のデパート・本店)とのニックネームで親しまれた。愛称は舞ちゃん、シュウヘイ。

目次

経歴

鰺ヶ沢第一中学校、木造高校日本大学では相撲部で活躍。小柄なため一旦は大相撲入りを諦め、山形県高校教員採用試験に合格していたが、大学在学時の同郷の後輩である成田の急死を契機として一転大相撲入りを志す。しかし、身長が当時約168cmで日本相撲協会の新弟子検査基準に達しなかったため、手術シリコーンを頭に埋めて身長を高くした(後述)。

出羽海部屋に入門後、1990年5月場所に四股名長尾」として幕下付出初土俵。この場所で6勝1敗の好成績を収め、13日目の取組で唯一6戦全勝だった栃天晃が星違いの琴の若に敗れたため、1敗力士8人による幕下優勝決定戦に出場した(準決勝で、優勝したに敗れた)。

関取に昇進し、四股名を郷里の舞戸町と部屋の出羽海に因んだ「舞の海」へと改名した後は、その相撲センスと100kgにも満たない小柄な体格を活かし、多彩な技で大型力士を倒すその取り口から「技のデパート」、「平成の牛若丸」という異名を得て人気力士となる。「猫騙し」の活用に始まり、「後退する立合い」、「くるくる舞の海」と言われた目回し作戦、1991年11月場所の戦でみせた「三所攻め」、1992年1月場所の貴闘力戦でみせた「居反り襷反り」(技は成功せず)、当時の二子山理事長に「八艘跳び」と言わしめた1992年1月場所・北勝鬨戦での立合いジャンプ作戦など、四十八手を駆使した相撲で大相撲ファンを魅了し、1994年9月場所には小結に昇進。また通算では5度の技能賞を獲得している。

しかし1996年7月場所、小錦との取組で舞の海は勝ったものの、体重差約200kgの小錦が舞の海の左膝へ倒れ込み、左膝内側側副靭帯損傷の大怪我を負い、同場所・翌場所を休場し十両へ陥落。1997年5月場所に幕内復帰を果たしたものの、上位陣と当たらない下位の位置に停滞し、幕内は1998年3月場所を最後に十両へ再陥落。それでも十両の地位で相撲を取り続けたものの、1999年11月場所には十両10枚目まで落ちていた。13日目の水戸泉戦で敗れた際に左足首靭帯を損傷、左ふくらはぎも肉離れを起こし14日目を休場、6勝8敗と窮地に追い込まれる。千秋楽11月21日)は無理を押して出場するが、若光翔に敗れて幕下陥落が濃厚となり、現役を引退した。

親方株に丁度空きが無かったこともあり、引退後は日本相撲協会には残らずタレントに転身。NHK大相撲中継の専属解説のほか、スポーツコメンテーターとしてフジテレビ系「FNNスーパーニュース」のスポーツキャスター(木曜日金曜日)なども担当。また旅番組のレポーター、俳優活動、各種講演[1]も行っている。2000年2001年には帝京大学非常勤講師も務め、かつて志した教員に就く形となった。

場所別成績

舞の海秀平
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1991年
(平成3年)
x西 十両 #12
9–6
 
西 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
9–6
 
西 前頭 #12
8–7
東 前頭 #9
8–7
1992年
(平成4年)
東 前頭 #7
4–11
 
東 前頭 #15
9–6
 
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #7
4–11
 
1993年
(平成5年)
東 前頭 #16
9–6
 
西 前頭 #11
6–9
 
東 前頭 #15
10–5
 
西 前頭 #6
4–11
 
東 前頭 #14
9–6
東 前頭 #8
6–9
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #12
9–6
東 前頭 #4
9–6
東 小結 #1
2–13
 
東 前頭 #8
8–7
 
1995年
(平成7年)
西 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #6
4–11
 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #15
9–6
 
西 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #11
2–1–12
 

休場[2]
0–0–15
西 十両 #4
8–7
 
1997年
(平成9年)
西 十両 #3
8–7
 
西 十両 #2
10–5
 
東 前頭 #15
9–6
 
東 前頭 #9
5–10
 
東 前頭 #14
8–7
 
東 前頭 #9
5–10
 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #10
5–10
 
西 十両 #1
4–11
 
東 十両 #7
9–6
 
西 十両 #2
8–7
 
西 十両 #1
3–12
 
1999年
(平成11年)
東 十両 #10
9–6
 
西 十両 #3
9–6
 
西 十両 #2
8–7
 
東 十両 #1
5–10
 
西 十両 #5
5–10
 
西 十両 #10
引退
6–9–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

主な成績

  • 通算成績:385勝418敗27休 勝率.479
  • 幕内成績:241勝287敗12休 勝率.456
  • 幕内在位:36場所
  • 三賞:技能賞5回

エピソード

現役力士時代

  • 新十両となった1991年3月場所の初日、宿舎から大阪府立体育会館までの道程で大渋滞に見舞われ、土俵入りに間に合わなかった。幸い取組にはぎりぎり間に合い、剣晃をすくい投げで破った。
  • 「立合いで両者が頭でぶつかり、前に攻める」のが一般的な相撲の流れであり、親方もそのような相撲を弟子に指導する。だが、当時の出羽海部屋親方である佐田の山は、舞の海にだけは「技は何をしても良い。好きなようにやれ」と許しを出し、立合いのぶつかりも強要しなかった。実際の取組でも、対戦相手がその業師ぶりを警戒するあまり、立合いで両者ぶつからず、近年では非常に稀である「手四つ」の体勢になるなど、流れの中でもボクシングのように双方離れて牽制しあうような展開が時折見られた。
  • 一方で、軽量を突かれて立合い一気に押されて敗れる相撲も多かった。新入幕の1991年9月場所、既に勝ち越していた舞の海は、千秋楽に勝てば単独での幕内優勝が決まる琴錦の対戦相手として当てられたが、舞の海がしゃがみ込んでもぐろうとするところ琴錦に諸手で一気に吹っ飛ばされてしまった。
  • 現役時代最も思い出に残る一番として、1991年11月場所の曙戦を挙げている。立合いの突きをしゃがんで避け、腰に食らいつき、内掛けを狙うまでは作戦通り。それでも曙は倒れないため、もう一方の足を足取りで攻め、最後には頭で相手の腹を押す「三所攻め」でようやく曙を転がす事が出来たという(なお、決まり手は「内掛け」となった)。また、「平成の牛若丸対弁慶」とも称された1992年3月場所での武蔵丸戦でも、腰に食らいつき外掛けと足取りを併用した攻めで勝利している(決まり手は「外掛け」)。
  • 他の力士が珍しい決まり手で勝ち星を挙げたとき、舞の海の異名である『技のデパート』になぞらえて自らを『技のデパート○○支店』と称する事があった。[3]

シリコン注入手術

1990年当時、新弟子検査に合格するには規定で173cmの身長が必要であった。身長の足りない舞の海はまず1990年の3月場所前新弟子検査において、すき油を頭の上に固めて乗せ、これを頭髪で隠して検査に臨んだが、気温で油が溶け出してしまい、不合格となる。

次回の5月場所前新弟子検査に向け、舞の海はシリコンを頭に埋め込んで身長を誤魔化す事を決断する。このシリコン注入は頭皮を頭蓋骨から剥がして袋を入れ、その袋にシリコンを少しずつ1ヶ月掛けて注入していく手術で、この処置を施している期間はが閉じられない程に顔の皮が引き附けられ、また激しい痛みで十分な睡眠も取れない厳しい状態だったという。新弟子検査合格後にすぐシリコンは抜き取ったが、本場所が近かったため袋の除去手術は場所後になった。

以後、同じ方法を施した新弟子検査受験者が数人現れたが、健康上の理由でこの方法を用いることは禁止された。その代わり、幕下付出資格者は体格不問となったり、「第二新弟子検査」が創設されたりと(規定身長を167cm以上に引き下げ)、小柄な力士志望者への門戸拡大につながった(第二新弟子検査から入門の豊ノ島や、学生相撲出身の豪風など)。

なお、舞の海以前にも大受(元大関、現朝日山親方)がシリコンを埋め込んで新弟子検査を受けた例がある。

解説者・キャスターとして

  • NHK大相撲中継の解説では、自身の相撲経験だけに頼らない、取材やデータも基にした論理的かつ率直な解説を行う[要出典]。また、正面解説:北の富士、向正面解説:舞の海というペアの解説になることが多いが、放送中に向正面から直接北の富士へ質問や相撲談義、世間話を持ち掛ける事が時折ある。[4]大相撲解説者が解説者に話し掛けるというのは、舞の海以外では殆どみられない。この2人にアナウンサー藤井康生を加えた3人による放送体制は「ゴールデントリオ」「漫才トリオ」などと称され[要出典]、大相撲中継名物の1つにもなっている。現役時代の自身の取り口から小兵力士の立ち合い変化を肯定する論調が多い。
  • 現在はキャスターの他、トリノオリンピック北京オリンピックの現地リポーター等も務めるが、リポーター・キャスターとしてはテンションが低すぎることを悩んでいる。[要出典]
  • 2009年初場所前に進退問題の渦中にあった横綱朝青龍の出羽海部屋での稽古を見学したが、その帰りに「まだ引退しないでくださいね」と声を掛けると、神経質になっていた朝青龍から「顔じゃないよ」(角界独特の言葉で分不相応である、の意。舞の海の現役時の最高位が小結であるからか)と罵られてしまった。[5]
  • これに関連した余談もある。同年春場所13日目に大相撲中継の解説に座った際、同じく解説だった武隈親方(元関脇黒姫山)が、新関脇だった稀勢の里の不甲斐ない相撲を見て、「舞の海さんも言われたね」と前置きした上で、稀勢の里を「こういう力士に言う言葉がある。『顔じゃない』」と(期待をしているからこそ)酷評した。

人物・その他

  • 中学生頃迄夜尿症が治らなかった。ただ本人はその事に関してはあまり気にしてなく、又、特に対策もしてなかったという。[要出典]
  • 2004年には素敵なお父さんとされた著名人に贈られる賞、ベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞した。
  • 故郷鰺ヶ沢町には、海の駅わんど2階に「鰺ヶ沢相撲館<舞の海ふるさと桟敷>」がある。
  • 2007年福島県で行われた講演会での講演の際に、朝青龍は間違いなく仮病だと思う。「私は北の富士さんと競っているんですよ」などと述べていた。[要出典]
  • プロ野球楽天イーグルスファンクラブ名誉会員(会員No.9)。
  • 旅チャンネルの番組で、とある男性に自分を名乗るとき「実は僕はかつて相撲の世界におりまして…」と言ったら「もちろん!知ってますよ!何言っているんですか舞の海関」と返され、照れていた模様が放送された。

現在の出演番組

おもな出演作品

テレビ

映画

CM

著書

  • 『土俵の学校-フォト対談集』錣山矩幸/舞の海秀平著 小野幸恵編集(近代映画社
  • 『はじめての大相撲』小野幸恵著 舞の海秀平監修(岩崎書店

関連項目

脚注

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外部リンク

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