詳しい解説
| 国公私立の別 | 公立学校 |
|---|---|
| 設置者 | 長野県 |
| 設立年月日 | 1912年4月11日 (諏訪郡平野村立農蚕学校) |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 定時制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | (全日制課程) 工業化学科 機械科 生産システム科 電気科 情報技術科 |
| 高校コード | 20150C |
| 所在地 | 〒394-0004 |
長野県岡谷市神明町2丁目10番3号 | |
| 外部リンク | 公式サイト |
長野県岡谷工業高等学校(ながのけんおかやこうぎょうこうとうがっこう)は、長野県岡谷市にある公立高等学校である。 略称は、「岡工(おかこう)」。 文化祭は「岡工祭」と称し、その名称は校名に由来する。 野球部は、1930年に夏の甲子園準優勝を果たしている。 バレーボール部、ラグビー部、自転車競技部は全国大会の常連校であった。特にバレーボール部は春高3連覇、選抜・総体・国体の三冠を達成するなどの偉業を成し遂げている。
目次 |
沿革
- 1912年(明治45年)4月11日 - 乙種農蚕学校として、諏訪郡平野村立農蚕学校が開校。
- 1913年(大正2年)3月29日 - 農蚕学校に女子部(後の、長野県岡谷東高等学校)を併設。
- 1915年(大正4年)11月10日 - 平野農蚕学校女子部を廃止し、村立平野実科高等女学校を設置。
- 1919年(大正8年)3月 - 甲種学校に昇格し、平野蚕糸学校に改称。
- 1920年(大正9年)3月 - 校名を諏訪蚕糸学校に改称。
- 1922年(大正11年)4月 - 県立に移管し、長野県諏訪蚕糸学校に改称。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 野球部が甲子園で準優勝。(対広島商:2-8)
- 1938年(昭和13年)4月 - 工業学校規定により、長野県岡谷工業学校に改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県岡谷工業高等学校となる。定時制機械科設置。
- 1954年(昭和29年)4月 - 飯田分校を設置。
- 1956年(昭和31年)4月 - 飯田分校が長野県飯田工業高等学校として独立。
- 1978年(昭和53年)4月 - 定時制普通科設置。
- 1985年(昭和60年)3月 - 定時制普通科募集停止。
- 1998年男子バレー部が春高バレー優勝
- 1999年男子バレー部が春高バレー優勝(連覇)
- 2000年男子バレー部が春高バレー優勝(3連覇)
- 2003年男子バレー部が春高バレー優勝
- 2004年(平成16年)3月 - 定時制機械科募集停止。これにより、定時制は2007年3月の卒業生をもって廃止となる。
- 2007年(平成19年)3月 - 定時制機械科閉校。
教育目標
- 人格の完成をめざし、国家ならびに社会の有為な形成者として必要な資質を養うため、一般教養を高める。
- 日本の工業の建設発展の根幹である技術者として必要な技能・知識・態度を養成する。
- 本校の伝統校風である質実剛健、至誠一貫の精神を涵養する。
出身者
- 中村三郎- 元プロ野球選手
- 三浦敏一- 元プロ野球選手
- 小泉恒美- 元プロ野球選手
- 今井務- 元プロ野球選手
- 金丸久夫- 元プロ野球選手、元ロッテ・オリオンズ
- 井上謙 - 元バレーボール選手、ソウルオリンピック出場
- 越川優 - バレーボール選手、パッラヴォーロ・パドヴァ所属、北京オリンピック出場
- 松本慶彦 - バレーボール選手、堺ブレイザーズ所属、北京オリンピック出場
- 木内学 - バレーボール選手、堺ブレイザーズ所属
- 野中信也 - バレーボール選手、FC東京所属
- 勝野裕士 - バレーボール選手、東レ・アローズ所属
- 勝野大 - ラグビー選手
- 小口泰平 - 元芝浦工業大学学長
- 木下厚 - 元衆議院議員
- 外ノ池信平 - スケート指導者
- 柿澤大貴 - 競輪選手
- 等々力久就 - 競輪選手
最寄駅
関連項目
カテゴリ: 長野県の公立高等学校 | 日本の工業に関する学科設置高等学校 | 岡谷市 | 全国高校野球選手権大会出場校 | 選抜高等学校野球大会出場校 | 学校記事
長野県岡谷工業高等学校
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